『砂の女』を読んで
タイトルや著者名は知っていたものの、不勉強なもので、知識ゼロで読み始めました。
読むきっかけとなった出来事や所感は2024/10/27前後の日記にまとめていますが、簡単にいうと渋谷すばるさんが読んだと言っていたから。
こういった本を読むのは久しぶりで慣れない部分もありつつ、楽しみながらゆっくりじっくり読んでいます。
まだ第一章までしか読めていない状態でのリアルタイムな読中の感想です。以下、ネタバレを含みます。
読んだ直後の感想 (第一章まで読了)
導入がもう面白い。
ある男が行方不明になり、七年が経ち、死亡の認定を受けたという事実から『砂の女』は始まります。どうやらその男は昆虫採集を目的に出かけたきり、行方がわからなくなったそう。
ここまでわずか2ページほど。
そして、昆虫採集に行く男が電車とバスを乗り継いで、終点まで行き着いたところへとシーンは切り替わり、本格的に物語が動き出していくのです。
すごくドラマっぽい。
この男は帰ることができないのだと読者が分かった上で、何が起きるのか何処へ行ってしまうのかとハラハラしながら読み進める感覚はサスペンスドラマをみているかのようです。
ただ面白いに留まらない、名作と言われるゆえんを感じたのは、現実的な設定からはじまったドラマのはずなのに、次第に見ている景色の全てがひとりの人間の心象風景にも読めてくるところ。
砂地の昆虫採集を専門とする男が「どこか、泊まるところくらいはあるんでしょう。」と、安易な気持ちで最終のバスを逃し、出会った老人に紹介されて、部落の一番外側にある砂丘の稜線に接した穴のなかに建つ女の家に泊まることになるあたりから、物語の様子が変わってきます。
導入が面白かったことすら伏線のよう
はじめ、男は砂にまみれたボロボロの家に不信感や不快感を感じていましたが、泊まりにきた客の姿をみてよろこびをかくしきれない女の様子に気をゆるませ、旅先のこうした一夜も得がたい経験だ、面白い昆虫も居そう、などの理由を自身に言い聞かせて、女の家に泊まることを受け入れます。
ですが、女が住む砂にまみれたその家は、異次元の世界でした。砂地の昆虫採集で培った知識で〈砂というものは、〉と自身の中にある「普通」や「常識」をいくら振りかざしても通用しない、抜け出すことのできない砂の世界です。
女の夫と子供は去年の台風で砂に埋もれて死んだという、死と隣り合わせの過酷な環境。その一方で、素裸で眠る女を目にして強烈な生を感じ、己の感情や衝動に振り回されては自制しようとします。
一晩限りの宿のはずが、砂丘の稜線の上から穴のなかにある女の家へと下ろされていた梯子もいつの間にか上から外されており、第三者の力無しでは抜け出せないことに気付き、砂丘に面した部落には砂を掻く人が必要で、男はそのために女の家にあてがわれたことが明らかになります。
豊かではないものの暮らせる程度には補給があり、女はこの砂にまみれた暮らしをあたり前のように受け入れているのです。
男が砂にまみれた空間と女との閉鎖的な生活に流されていく様子と、性的な衝動や渇望に駆られながらも自制する様子が平行して描かれる描写は、映画に挟まるセックスシーン同様、個人的には知識として理解するけど実感の伴わない感覚という感じではありますが、
それを差し置いても、生と死や希望と絶望の間で揺れ動く強い感情とそれらに反発しまたは受け入れようとする様は、人生のさまざまなシチュエーションに通ずる心情に感じました。
ひたすら砂をかいて暮らす女と過ごすうち、砂というコントロールの効かない存在に、男はじわじわと心身ともに侵食されていきます。
抜け出せない社会の構図にも、ひとりの心の病み方にも読める
ほんの些細な選択やきっかけで、戻れない穴のなかへと落ちてしまう。不条理さに憤りながらも、悪いだけじゃない現実をどこかで受け入れてしまう。こういった出来事は、人生にある普遍的なシチュエーションに思えます。
そこから生まれる葛藤や受容は、現代にも通じる社会構造のようでもあり、人生の過程のようでもあり、掻いても掻いても絶えず入り込んでくる砂の存在が、不安や暴力、依存など様々なものに置き換えられるようにも感じられます。
そして、理論や情報で自身の答えを導きだしていた男が、砂という流動的なもの、感情のようなものから逃れられなくなったとき、男はどのような答えを出すのか。
さまざまな対比や比喩として捉えられる物語の行く末が気になります。
余談と体感
ここまでが第1章。一旦休憩することにしました。
共感できる部分もあり興味深く面白く読んでいますが、さらっと読み流せるエンタメ本や、必要な情報だけ拾えば良い実用書と違って、ただ読むだけでも解釈の余地がありすぎて頭が疲れる……!
パッと見た感じまだ3分の1。80ページほど。
量に対してのボリューム感がすごい。
学生時代の読書経験からすると、文学や名作とされる作品ほど考えさせるだけ考えさせて救いのない終わりであることが多いイメージがあるので、メンタルにも余裕を持たせて深入りしない!と決めていました。夢中になって集中力に任せて読んでしまって落ちたときの後が怖いですからね。
人間ってこうだよ、の後にはやっぱりちょっとだけ希望があると救われるし心くすぐられるなと個人的には思います。
『砂の女』がどうかはまだこれから。
葛藤の末に目の前の世界を受け入れて砂を掻く男として生きていきそうな予感が現時点ではしていますが……、
いろんな意味でドキドキしながら、続きを読みたいと思います。
私のように慣れないけど読んでみたいという方は、お好きなエンタメを片手に、深く考える作品をもう片手に、バランスを取りながら読むと良い経験になるかもしれません。
続きはまた近々、読み進めたら書きたいと思います。